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留魂録(吉田松陰著 城島明彦訳 2014年 致知出版社) 生きることよりも、死を選び永遠となった吉田松陰の最期を飾る言葉たち~本書より覚悟を獲得せよ~

こんにちは。石井です。

今回は、「留魂録」をご紹介します。

皆さん、吉田松陰はご存知ですか?きっと、名前はご存じの方が多いでしょう。

では、「留魂録」をご存知ですか?こちらは知らない方がほとんどだと思います。

本コラムでご紹介する「留魂録」は、吉田松陰の遺書になります。わずか1日半・・・門弟に当てた遺書こそが、「留魂録」なのです。

身はたとひ武蔵の野辺(のべ)に朽(くち)ぬとも留置(とどめお)かまし大和魂

意味は、「肉体が朽ち果てたとしても、永遠に我が大和魂はここに留めておきたい」ということです。※弊社による意訳

この言葉から始まる吉田松陰の遺書を読んでいくことにしましょう。

本書を読むことで、自分を見つめ、仕事をする気概を大いに感じ取ることができるでしょう。

 

目次

    1. 吉田松陰という人物

    吉田松陰は、1830年に現在の山口県で生を受けます。名は、杉寅之助です。後に、吉田家の養子となり、号を松陰と改めました。

    武士の家でありながら貧しい生活をしていましたが、小さいときからスパルタ教育を受け、学問で大変な成熟をされました。

    松陰は、叔父である吉田大助が亡くなった後、別の叔父である玉木文之進が始めた松下村塾で学びを受けます。

    後述しますが、松陰の松下村塾における数々の弟子が世で活躍しているため、松下村塾は松陰が始めたものであると勘違いされている方も多いようです。

    しかし、この塾は叔父の玉木文之進が始めたものであり、松陰はそこでスパルタ教育を受け、後に自らも教える立場となったということです。

    松陰は数多くの弟子を輩出する先生であり、また自ら革命的な行動を多くしています。

    その革命的な行動の1つが、ペリーが来航した際に、その船の1つに乗り込みアメリカに行きたい旨を直談判したことです。長らく鎖国をしていた国の中から、命を顧みない行動を取った吉田松陰は革命家と言っても良いと思います。

    結局、アメリカ行きの夢は途絶え牢獄行きとなりました。しかし、吉田松陰自らが背中で見せた革命的行動は門下生にとって強い影響になったこと違いありません。

    このような革命的な行動をした吉田松陰は、牢獄に入れられ、最終的には処刑されてしまいます。その際に、書き残した遺書こそが「留魂録」なのです。

    2. 吉田松陰の門弟たち

    松下村塾は、多くの歴史的人物を輩出しました。

    代表的な一人には、伊藤博文がいます。

    伊藤博文とは、初代の内閣総理大臣となった方です。イギリスへの留学をはじめ、改革心は吉田松陰から授けられたものが大きいと言えるでしょう。

    あまり知られていませんが、処刑された吉田松陰の身柄を引き取りに行った一人が伊藤博文のようです。そのくらい師弟関係が強く、伊藤博文は多大なる影響を吉田松陰から受けていたことを想像できます。

    また、その他にも木戸孝允がいます。

    言わずもがな、西郷隆盛や大久保利通と並び、明治維新で活躍した一人です。

    加えて、松陰から直接教えを受けることはできなかったが、間接的に影響を受け、日本に影響を与えた人物がいます。

    その一人が、乃木希典です。

    乃木希典は、明治時代に日露戦争で活躍した英雄です。また学習院の院長も務めた人物です。乃木希典は、松陰の叔父である玉木文之進の教えを直接受け、大変松陰に感銘を受けたと言われています。

    松陰の影響はこれほど多方面に渡っています。そして、その影響力はいまなお、私たちの周りにも影響を及ぼしていることでしょう。

    松陰は興味深いことに、「人の評価は棺桶を閉じる前と後で変わる」という趣旨の言葉を残しています。

    松陰は、限られた門下生しか持ちませんでしたが、現在これだけの影響を日本や世界に及ぼしていることを考えると、まさに「棺桶を閉じた後に大きな影響を及ぼした人物」と言えます。

    私たちも、この瞬間の利ばかりを求めずに、ひたむきに徳を積み重ねていきたいものです。

    3. 読み解けること(考察)

    松陰の「留魂録」からは、さまざまなことを読み解くことができます。

    1つ目は、「師弟関係の強さや絆」です。

    一部の門下生は、松陰の激しさについていくことができなかったという記録も残っていますが、それであったとしても多くの歴史的な人物を輩出した事実は揺るぎない功績と言えます。

    また、「留魂録」は弟子に向けた遺書であることからも、強い師弟関係を感じざるを得ません。

    私たちの多くは組織の中で仕事をしています。その中で、どれだけ強い関係を築くことができているでしょうか。どれだけメンバーのことを思うことができるマネージャー陣がいるでしょうか。

    私たちは、この「留魂録」から深く考えなければなりません。

    2つ目は、「貫く勇気」です。

    吉田松陰のエピソードを調べるほど、そして「留魂録」を読むほどに凄まじい勇気を持った人物であったことがうかがえます。

    何かを実行するには、貫くものがなければできないと思います。現状に流されること、不安や不満を言うことなどは、誰でもできることかもしれません。

    ただ、松陰の貫く勇気を前にすると、私たちも「いざ行動しよう!」と思えてくるのではないでしょうか。

    3つ目は、「自分の人生を生ききった信念」です。

    松陰は、29歳という若さで、安政の大獄によって処刑されました。29という数字だけ見ると、「生ききった」とは言えないと感じる方もおられるかもしれません。

    ただ、私は「生ききった」と思うのです。現代は、「寿命が長いと良し」とされる風潮があります。確かに、長く生きることは良いことでしょう。

    しかし、人生が短かったとしてもその濃密さ故に多大なる影響を世に残し、後世に大きな遺物を残した偉人もいるのです。その人物こそが、吉田松陰と言えるのではないでしょうか。

    そんな松陰が生ききったと感じることができる言葉を引用させていただきます。

    もしも同志諸友が、ささやかなわが志を憐れんでくれ、継承してくれる人がいる限り、その種は先々まで絶えることなく生き続け、年を経ても、また立派に花を咲かせ、見事な稲穂を実らせるはずです。

    同志諸友よ、このことを熟考せよ。

    この言葉には、上記3つの事柄が全て網羅されていると言えるでしょう。

    4. おわりに

    いかがでしたでしょうか。

    今回は、吉田松陰の遺書である「留魂録」をお伝えしました。遺書ですので、大変重く考えさせられる内容の本です。

    ただ、読むほどに自らの魂は磨き上げられると思います。ぜひ、日々の仕事の活力の1つとして、本書を手に取っていただけると嬉しく思います。

     

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    石井 健博

    ブランドマネージャーとして、マーケティングを担当。
    営業・リベラルアーツ・マネジメントなどのコラムを発信中。
    趣味は、読書・英語学習・ラグビー。5歳息子のパパ。

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